かつて日本に存在したオオカミ🐺「ニホンオオカミ」は、名古屋市内にも生息していたそうです。
名古屋の絶滅動物に関する記録『レッドデータブックなごや 2025』の動物編によると。名古屋市内では江戸時代中期に尾張藩家臣によって書かれた日記に、ニホンオオカミが現在の天白区平針付近と北区味鋺にいたことが示唆されてるそうです。
名古屋市版レッドデーターブックに関する公式ページ↓↓
・レッドデーターブックなごや 2025 動物編(PDF):名古屋市
国立科学博物館に展示されてたニホンオオカミの剥製↓↓

Photo by Momotarou2012(CC BY-SA 3.0)
【追記(2025年11月1日)】
上記の内容についてより詳しい情報が、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築しているレファレンス(調べものの相談)のデータベース「レファレンス協同データベース」にありました。
・名古屋周辺にオオカミが生息していたか知りたい:レファレンス協同データベース
これによると『鸚鵡籠中記』の全編が翻刻・収録されている『名古屋叢書 続編』に、1693年の天白区平針と1709年の北区味鋺について記載があるそうです。
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しかし1717年の事例については、記載が見つけられなかったそうです。
なお1709年の事件については、『狼、暴れ候 日記に見る尾張藩事件簿』と言う本に詳しくまとめられてるそうです。
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また愛知県内で言うと。現在の豊川市にある縄文時代の遺跡などから骨が出土してるほか。江戸時代中期には知多半島や江南市、犬山市、旧・春日井郡。額田郡などで、生息に関する記述がある文献資料が残っているとのこと。
このことからも名古屋市周辺、および愛知県内に長い間ニホンオオカミが生息していたことが伺えます。
ちなみに上記の引用部分にも記述がありますが。ニホンオオカミは愛知県内では明治時代以降の記録はなく。そのため『レッドデーターブックなごや』では『絶滅扱い』となっています。
【追記(2025年11月1日)】
愛知県内のニホンオオカミについて補足です。
江戸時代に三河地方で捕獲されたニホンオオカミの頭骨が、豊川市の旧家に代々保管されていたそうで。それが2021年に豊橋市自然博物館に寄贈されたそうです。
豊橋市自然博物館のページ↓↓
東愛知新聞の記事↓↓
ちなみにこの旧家でニホンオオカミの頭骨は、病気治癒の祈願として飾られていたそうです。そしてこの頭骨が愛知県内に残る唯一のニホンオオカミの頭骨とのこと。
なおニホンオオカミの絶滅の理由に関しては「人間の狩猟によって餌となる生き物が不足したこと」や「人間によって害獣として駆除されたこと」、「犬などと共通する感染症にかかったこと」などが考えられるそうです。
あと有名な話ですが。本州以南で言うと、ニホンオオカミは1905年に奈良県の現在の東吉野村で見つかったものが最後で。以後生息が確認されていません。😢
なお最後の1頭のその後の経緯などについては、東吉野村公式サイトのページに詳しく書かれています。興味ある方は見てみてはいかがでしょう?
東吉野村のニホンオオカミに関するページ↓↓
あと余談ですが。上記の写真を見て「本当にこれオオカミ?何か変じゃねぇ??」と思われた方もいると思います。かく言う私もそうでしたが。😅
上記の東吉野村のページによると、ニホンオオカミの特徴は『オオカミの中で一番小さい種で、4肢と耳が短いですが、それでもイヌにくらべればはるかに大きく、体毛は長く、前足前面に黒褐色の斑紋があります。頭骨は短小で口先は短く広い』とのことなので。そう言われると、まさにこの写真で写ってるような生き物だったんだなぁ〜と。
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名古屋の絶滅動物に関する記録『レッドデータブックなごや 2025』の動物編によると。名古屋市内では江戸時代中期に尾張藩家臣によって書かれた日記に、ニホンオオカミが現在の天白区平針付近と北区味鋺にいたことが示唆されてるそうです。
名古屋市版レッドデーターブックに関する公式ページ↓↓
・レッドデーターブックなごや 2025 動物編(PDF):名古屋市
国立科学博物館に展示されてたニホンオオカミの剥製↓↓
Photo by Momotarou2012(CC BY-SA 3.0)
朝日重章(1718 年没)の「鸚鵡籠中記」(名古屋市教育委員会(編),1965~1969)には、1693 年頃に現在の天白区平針付近、1709 年頃に現在の北区味鋺、1717 年頃に市内での生息を示唆する記述が残されているが、明治以降の生息記録はない。
※. 『レッドデーターブックなごや 2025 動物編(PDF)』より引用
【追記(2025年11月1日)】
上記の内容についてより詳しい情報が、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築しているレファレンス(調べものの相談)のデータベース「レファレンス協同データベース」にありました。
・名古屋周辺にオオカミが生息していたか知りたい:レファレンス協同データベース
これによると『鸚鵡籠中記』の全編が翻刻・収録されている『名古屋叢書 続編』に、1693年の天白区平針と1709年の北区味鋺について記載があるそうです。
・元禄6年(1693):現在の天白区平針付近
『名古屋叢書 続編』第9巻p.140に鹿狩りでオオカミが捕獲されたと記述されています。
・宝永6年(1709):現在の北区味鋺付近。翌年にかけて現在の愛知県北西部にあたる地域で人がオオカミに襲われる事件が相次ぎ、尾張藩がオオカミを駆除しています。
『名古屋叢書 続編』第11巻p.448-p.453,p.457,p.461,p.475,p.589,p.596-597でこの事件について記述されています。
※. レファレンス協同データベース「名古屋周辺にオオカミが生息していたか知りたい」より引用。
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しかし1717年の事例については、記載が見つけられなかったそうです。
なお1709年の事件については、『狼、暴れ候 日記に見る尾張藩事件簿』と言う本に詳しくまとめられてるそうです。
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また愛知県内で言うと。現在の豊川市にある縄文時代の遺跡などから骨が出土してるほか。江戸時代中期には知多半島や江南市、犬山市、旧・春日井郡。額田郡などで、生息に関する記述がある文献資料が残っているとのこと。
このことからも名古屋市周辺、および愛知県内に長い間ニホンオオカミが生息していたことが伺えます。
ちなみに上記の引用部分にも記述がありますが。ニホンオオカミは愛知県内では明治時代以降の記録はなく。そのため『レッドデーターブックなごや』では『絶滅扱い』となっています。
【追記(2025年11月1日)】
愛知県内のニホンオオカミについて補足です。
江戸時代に三河地方で捕獲されたニホンオオカミの頭骨が、豊川市の旧家に代々保管されていたそうで。それが2021年に豊橋市自然博物館に寄贈されたそうです。
豊橋市自然博物館のページ↓↓
東愛知新聞の記事↓↓
ちなみにこの旧家でニホンオオカミの頭骨は、病気治癒の祈願として飾られていたそうです。そしてこの頭骨が愛知県内に残る唯一のニホンオオカミの頭骨とのこと。
なおニホンオオカミの絶滅の理由に関しては「人間の狩猟によって餌となる生き物が不足したこと」や「人間によって害獣として駆除されたこと」、「犬などと共通する感染症にかかったこと」などが考えられるそうです。
あと有名な話ですが。本州以南で言うと、ニホンオオカミは1905年に奈良県の現在の東吉野村で見つかったものが最後で。以後生息が確認されていません。😢
なお最後の1頭のその後の経緯などについては、東吉野村公式サイトのページに詳しく書かれています。興味ある方は見てみてはいかがでしょう?
東吉野村のニホンオオカミに関するページ↓↓
あと余談ですが。上記の写真を見て「本当にこれオオカミ?何か変じゃねぇ??」と思われた方もいると思います。かく言う私もそうでしたが。😅
上記の東吉野村のページによると、ニホンオオカミの特徴は『オオカミの中で一番小さい種で、4肢と耳が短いですが、それでもイヌにくらべればはるかに大きく、体毛は長く、前足前面に黒褐色の斑紋があります。頭骨は短小で口先は短く広い』とのことなので。そう言われると、まさにこの写真で写ってるような生き物だったんだなぁ〜と。
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